「魔が差す」
魔は日常の割れ目から忍び込んできます。
あるいは人の心の中に棲んでいます。
外的要因が引き金となって、あるいは偶然が重なって思いもかけない行動をとってしまうことがあります。
そんなとき魔が差します。
魔が差しても、謝ればすむような問題から、魔が差して取り返しのつかない事象を招いてしまうこともしばしばあります。
季節の変わり目やお酒を飲んだとき、失敗したときや逆にものごとがおもしろいように進んでいるときにも魔はさしやすいのです。
魔が差しやすいときと、魔が差す後悔をしないために大事なことをお伝えします。
「魔が差す」心理と意味!逢魔が時に起こりやすい?
魔が差すとは、何かの拍子(ひょうし)に心に魔物が入り込み、突拍子もない行動を起こしてしまうことです。
人間誰しも、魔が差すときがあります。
心のすきまに魔が入りこみ、隠れていた心が表面に出てきます。
季節の変わりめや昼と夜の境目、また精神状態にも左右されます。
日本では逢魔が時(おうまがとき=薄暗くなる夕方の時間)といって、夕暮れ時に魔が差しやすいといわれてきました。
夕暮れ時は、昼と夜のはざまであり、時間が移り変わり夜への入り口のときです。
昼間は人間の活動する時間帯、
夜は妖怪や魑魅魍魎(ちみもうりょう)が活動する時間帯です。
そんな妖怪たちが活動を始める夕暮れ時、子どもは早く家に帰りなさい、とわたしの子どもの頃、親や学校の先生から教えられてきました。
刻々と暗くなる夕暮れの景色は、判断力を狂わせる力も秘めているのかもしれません。
魔が差す心理状態とは?
では、魔が差すときの心理状態は、どんなときなのでしょうか。
寂しさや不安やといったネガティブな心の状態は、魔が差しやすくなります。
誰かに頼りたい、不安を慰めてほしいと望むからです。
逆に、油断や慢心といった心のゆるみも、魔が差す原因になります。
このくらいいいだろう、誰も見ていないだろうという油断
私はすごい人間なんだ!というおごりや慢心は、魔が忍び込みやすいのです。
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魔が差す時はこんなとき!
人間は「権力」というものに弱く、たとえば昇進などして自分がすごい人間だ!と権力や地位に気づいたときおこりやすいといわれています。
権力を笠にきたトップが会社を失脚させた例はごまんとありますね!
最近では大手自動車メーカーなども!
こんなとき、ふと一瞬の気の迷いで、考えられないような間違いを起こしてしまうことがあります。
わたしは子どものころの遊び場は神社でした。
よく母から、夕方は早くお宮さん(神社)から帰ってきなさい、と言われました。
夕暮れどきは、魔に会いやすいんですね!
魔が差す心理、こんなときこそ要注意!
魔が差すとき、心にはこんな心理がふつふつとしています。
人間は誰しも心に弱い部分をかくしています。
弱い部分が露呈(ろてい)したとき、魔が差しやすいのです。
油断(ゆだん)
ものごとがうまくいきノリに乗っているとき、ふと気を抜いた瞬間に魔が差しやすいのです。
順調、絶好調なときほど、足元をすくわれないように気をつけたいものです。
慢心(まんしん)
自分はえらい!できる!すごい!社長だ!
権力に酔っているとき、魔は忍び寄ります。
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不安
逆に不安で心細いとき、誰かに頼りたくなるとき。
そんなときにやさしくされると、心につけ入られます。
詐欺の被害に遭いやすいのもこんなときです。
魔が差す理由
実は魔は自分の中にいます。
私たちは人間関係の中で生きていかなければならないので、普段は理性でおさえ込んでいます。
自分の中にいる「魔」を理性がうまくバランスをとってくれているのですが、何かの偶然が重なるようにして理性の抑制が効かなくなったときに魔が差すのです。
酒の席での失敗などはよくある例ではないでしょうか。
抑圧されたものが何かの拍子に表に飛び出した状態ですね。
我慢しきれなくなって、感情を爆発させてしまうと人間関係は取り返しのつかないことになります。
やった本人はあのときなんであんなことをしたのか、自分でもわからない、といいます。
「魔が差した」としかいいようがない、と。
人の心は多面的です。
正の感情、負の感情が同居しています。
理性のブレーキがきかなくなったとき、魔が差すのです。
平凡な日常に潜む魔!
魔はあたりまえの毎日にも、ふと顔をのぞかせる瞬間があります。
いつもの朝、駅に向かう道、いつもの電車、いつもの仕事、帰路につき、このまま同じ日々の繰り返しで年を重ねていくのか、
とめどなくむなしさがこみあげてくる。
あたりまえの日常にやるせなさを感じてしまったことはないでしょうか。
そんなとき、ふらっと脇道に入ってしまうととたん、魔の世界がぱっくりと口を開けています。
これは私の身の周りで実際にあった話ですが、会社の帰りに線路を歩いていて人生を終えた人がいます。
夜の魔力に飲み込まれてしまったのです。
ご家族の悲しみはいかほどだったでしょう。
平凡な日常のありがたさは失ってはじめてわかります。
道を誤る前に、現実に返って今のしあわせを再確認してください!
「魔が差す」の語源は?
魔が差し入る、魔がつけ入る、
魔は影が差すように、日常のちょっとした隙間(すきま)にするりと差し込んできます。
そんなふうに魔とは、気づかれないように「差す」ように近づいてくるのです。
長い触手を伸ばし、油断やほころびからするりと入り込んでくるのです。
日本には「魔除け」「厄除け」のならわしがあります。
すきをねらって入り込んでくる魔を除けるため、厄年になると神社でお祓いや祈祷を受けて、魔を遠ざけてきました。
魔除け 厄除けのお札・角大師護符(元三大師)については、こちらに詳しくまとめています↓
玄関は気の通り道と同時に魔が入り込んでくる場所でもあります。魔を遠ざけるために、魔除けのお札を玄関に貼ることが多いですね。京都では、魔除けのお札、角大師護符(つのだいしごふ)を貼っている家をかなりの確率で目にすることができま[…]
「魔が差す」理由を心理学的に解釈!
オーストリアの精神科医フロイトは、夢分析で有名な心理学者です。
フロイトは、夢にはふだん理性の下で抑圧されている無意識や願望があらわれるとしました。
無意識を抑圧し続けると、消化不良を起こし欲求不満になります。
欲求不満を、夢で排出するようにできているのです。
欲求不満を、夢を見ることで解消しているのですね。
夢の内容は、登場人物やものごとが複雑に絡み合ってはちゃめちゃで脈絡(みゃくらく)がよくわからず、意味不明だったりします。
夢判断や夢占いは、人によって事情が異なるので一様な判断が難しいのです。
心には裏表があります。
魔が差すとは心理学的には、裏の心があらわれることです。
夢でもわかるように抑圧された欲望や無意識がふと、理性を超えて表面化するとき、「魔が差します」。
心には、日常的な表と、非日常な裏があります。
表は日常的な人間としての意識、裏はくやしさや執念(しゅうねん)など、ふだん隠れて抑え込んでいるドロドロの感情。
誰しも持っている裏の意識が、何かのきっかけに表にあらわれるのが「魔が差す」。
だから、うまくいっているときほど調子に乗らない
権力を笠に着ない
心のブレーキを踏む覚悟が大事です。
また、フロイトは、私たちが日常の中で経験するちょっとした言い間違いには、本音がかくされていると言っています。
「魔が差す」出来心が心を支配する瞬間!
人間は感情の生き物です。
ときに理性のタガがはずれ、感情のままに突っ走ってしまうこともあるでしょう。
でも、勢いで突っ走り、がけっぷちまで追い詰めたとき、ギリギリのところで理性がブレーキをかけます。
男と女
親と子
部下と上司
陰と陽の関係は、魔が差しやすいのです。
愛情は愛憎、愛と憎しみは、表裏一体です。
愛情が深いほど、憎しみも大きくなる。
世間を騒がす事件は、ほぼ陰陽の関係で説明できます。
たとえば、男女の情愛、相手を思う愛情が深いほど裏切られたときの憎しみも大きくなる。
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愛しているがゆえに相手を殺したいくらい呪う、同じ女性として苦しく狂おしい気持ち、わかります。
そのブレーキさえも効かなくなったときは、自分に問いかけるのです!
一瞬の気の迷いで、二度と日常に戻って来れなくなる。
人は誰でも弱いから、負けてしまいそうになるときもあります。
でも、立ち止まるのです!
思いとどまってください!
それを言ったら取り返しがつきません!
一寸の呼吸を忘れないでください。
もう一人の自分が、自分を客観的に見る、その視点を忘れないでください
引き金を引いたら、日常には戻れません。
その画が見えるから、人は思いとどまれます。
寸前で後悔を回避できるだけの理性が、人間には備わっています。
人は誰でも「魔が差す」瞬間があることを知っておき、魔が差したとき引き返せる知恵としてください。
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最後まで読んでくれはって、ほんまにおおきに〜〜ありがとうございます!