観世三郎太さんの母はどんな人?宗家を継ぐ能楽師としての成長や芸に与えた影響

能楽の世界は同じ伝統芸能である歌舞伎界とは少し事情が異なっています。

能楽も歌舞伎の世界同様妻が裏方を引き受けることは同じですが、妻の役目としてはずいぶん違いがあります。

歌舞伎界であれば梨園の妻と女優の二足のわらじで活躍する女優さんも存在しますが、能楽の世界では妻はいっさい表に出ません。

珠緒
それほどまでに能楽の世界は、閉ざされた世界ともいえます

このように能楽師の妻は表舞台に出ることがありませんので、謎に包まれています。

この記事では情報が少ない中から、能楽ファンのわたしが集めた情報を元に、観世三郎太さんの母親がどんな人なのかお伝えします。

観世三郎太の母親はどんな人?

観世三郎太さんが観世流の能楽師として成長し、後継者として活躍していることを考えると、三郎太さんがここまで成長するまでには母親のサポートが大きかったと考えられます。

能楽の世界では、芸の道を教えるのは師匠である父親の役目、母親は子どものしつけや教育が役割です。

観世三郎太さんの母親は、能楽師の夫を支えながらやがて跡取りとなる我が子の教育、人間形成に携わってこられた。

 

幼少期には、礼儀作法や言葉遣い、芸の基礎となるリズム感などを身につけさせるため、母親が積極的に関わることが多いのです。

遊びたい盛りである子どもの頃から、家元に生まれた重責をそれとなくいい含めお稽古に向かわせるようしつける苦労。

観世三郎太さんの母もまた、彼の芸の道を支えた存在であると考えられます。

能楽師の妻は表舞台に出ることはありませんが、裏方として家元を支えます。

能の衣装や道具の管理、弟子たちへの気配りなど、こまごまとした役目を果たします。

息子の観世三郎太さんが能のお稽古に集中できるように環境を調え、周辺からサポートされたはずです。

まさに内助の功で、能の世界に送り出したことでしょう。

彼女の存在が観世三郎太さんの成長に大きな影響を与えたことは間違いありません。

2021年に皇居外苑で開催された日本博「祈りのかたち」に関するインタビューで観世清和さんは、後継者である観世三郎太さんへの母親の内助の功を、次のように語っておられます。

息子への稽古は夫婦の共同作業でした。学校から帰ってきた三郎太を家内がうまく稽古場へと導いてくれました。

※出典:紡ぐプロジェクト「日本博」インタビュー 読売新聞 2021年3月7日紙面より

珠緒
母親が幼い三郎太さんを能楽のお稽古へと向かわせた様子が伝わってきますね!

観世三郎太さんの母は観世清和さんの再婚した妻

観世清和さんは前妻と離婚して二番目の妻を迎えました。

観世清和さんの前妻であるあすかさんは離婚の際、子どもを連れて観世家を出ました。

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『翁』※出典 BS日テレ『祈りのかたち 皇居外苑特別公演』

そのとき観世清和さんは妻以外の女性との間に子どもをもうけており、その子どもが観世三郎太さんです。

子どもをもうけた女性を二度目の妻として迎えました、観世三郎太さんの母親です。

跡取りに成長するまで支えた母親のサポート

観世三郎太さんは、観世清和さんの息子で、観世家の跡取りです。

その観世三郎太さんの母がどんな人かは気になるところですが、能楽師の妻は芸能人ではないので人となりを知り得ることは容易ではありません。

まして、しきたりと格式を重んじる能楽の世界では、外に開かれた情報を得ることは難しいのです。

観世家が過去にセンセーショナルな話題をさらったことも、能楽の世界の特殊な事情や、期待とプレッシャーを背負う重みからきたとも推測できます。

人々の関心を集めるニュースの裏側には、当事者しか知らない複雑な内面があるはずです。

今、観世三郎太さんが立派に跡取りとして成長され、その陰には母親のサポートがあったことを鑑みると、見えないところで心を砕かれたことが想像できます。

観世三郎太の初演舞台での母の応援

観世三郎太さんは能楽の家に生まれたこと、将来宗家として後を継ぐことに対して、貝印株式会社のオウンドメディアのインタビューで語っています。

継がなければいけないといった責任感やプレッシャーをあまり感じたことがない、と。

ゼロからイチへ、オリジナルなものを作り出していく、その前段階。クリエイターたちはどういった過ごし方をしているのだろうか。…

珠緒
力みがなくて、すごい大物感が感じられるコメント!!!気負いがなくて素直な人柄が伝わってきます〜

しかし、これは母親の英才教育、師匠の観世清和氏が語るとおり「うまく稽古場へ導いた」結果であるとも言えるかもしれません。

 

それでも初舞台のときは、誰しもがそうであるように緊張して迎えたことと思います。

家族の支えが大きかった、特に母親の応援は力になったはずです。

母親はおそらく客席の隅で見守っていたのでしょう。

舞台が始まると、三郎太さんは見事な舞を披露しました。

母親は客席からその様子をじっと見守り、目に涙も浮かべていたかもしれません。

母の存在と応援が、三郎太さんの初舞台成功を支える力になったことは間違いないでしょう。

わたしも観世三郎太さんの舞台を見たことがあります。

新作能グリム童話「白雪姫」で王子役を観世三郎太さんが演じました。

能の直線美が光る身のこなし、三郎太さんの芸の確かさと堂々とした落ち着きに、年齢以上の大物感を感じました。

能楽師としての道を歩み始めた観世三郎太さんの陰には、母親の献身的なサポートがあったのだと思わずにはいられませんでした。

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観世三郎太さんの母とあすかさんとの関わり

観世三郎太さんの母と観世清和さんの前妻である観世あすかさんの間には、複雑な事情があったことは想像に難くありません。

観世清和さんとあすかさんは長年連れ添っていましたが、清和さんが愛人との間に子どもをもうけたことで結果的に離婚に至りました。

この子どもこそが観世三郎太さんであり、

三郎太さんの母はあすかさんを追い出すかたちになったこと、あすかさんにも子どもがいたことを考えると、

それこそ能楽で繰り広げられる恨み、妬みの再現のようであったのではないかと想像します。

観世三郎太さんの母と離婚後のあすかさんは、行事や舞台などで顔を合わせる機会もあったかもしれません。

ましてあすかさんは茶道や着物の世界で活躍されている方。

離婚後も観世家とは接点があってもおかしくないでしょう。

個人的なわだかまりがあったとしても、家の将来を担う存在として三郎太さんを支える気持ちは共通していたかもしれません。

このように、観世三郎太さんの母と前妻の観世あすかさんの関係は、単純な敵対関係というよりも、伝統を受け継ぐ同志のようなつながりがあった可能性が高いです。

現にあすかさんが今でも観世姓を名乗っているのには、そんな複雑な事情もあるのかもしれません。

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最後まで読んでくれはって、ほんまにおおきに〜〜ありがとうございます!