能を大成した世阿弥(ぜあみ)は美少年でした。
能のパトロンとなった足利義満は美しい世阿弥(ぜあみ)に心を奪われました。
この記事では、世阿弥(ぜあみ)が世に出るまでのいきさつと、功績についてお伝えします。
世阿弥の生い立ち
世阿弥(ぜあみ)は猿楽師の観阿弥(かんあみ)を父に持ち、1363年(室町時代)に生まれました。
本名を元清(もときよ)といいます。
幼い頃から父について猿楽をならい、将来は父と同じ道に進むことを約束していました。
世阿弥はイケメンだった?
世阿弥が12歳のころ、京都の今熊野神社で父の観阿弥(かんあみ)とともに舞った獅子の舞で、時の将軍足利義満の心を虜(とりこ)にしました。
このとき、足利義満は17歳の若さ。
おじさんが若い少年を見初めるのならまだしも、歳の近い少年が少年に恋をするとは、足利義満は心がピュアな人やったんでしょうか。
美少年だった世阿弥(ぜあみ)の美しさと、父から教え込まれた優美な舞とが足利義満の心をとらえたのです。
足利義満に愛された世阿弥は、将軍お抱えの能楽師となり、そばでお仕えしました。
世阿弥は何した人?
足利義満の寵愛(ちょうあい)を受けて、将軍に仕えた世阿弥(ぜあみ)。
しかし、都人らは、猿楽を身分の低いものが生業(なりわい)にする芸能だと、世阿弥(ぜあみ)のことを認めようとはしませんでした。
それでも世阿弥(ぜあみ)は、和歌や連歌(れんが)などと比べ低く見みられていた猿楽を、都人に認めてもらえるよう努力します。
貴族から和歌や有職故実(法令や制度などの社会の決まり)などの教養を習い身につけます。
父・観阿弥(かんあみ)がかたちを整えた能に「幽玄(ゆうげん)」を取り入れて、現在の能につながる優美な能を完成させました。
世阿弥(ぜあみ)の創作した能の優美な世界は、都人にも受け入れられていきました。
世阿弥(ぜあみ)は現在まで続く幽玄の能を完成させました。
足利義満の寵愛(ちょうあい)を受けてチャンスを手に入れ、能を貴族たちに支持される芸能に発展させました。
能の作品も多く残し、能を演じるための心がまえを書いた本も多く執筆しました。
代表作に「風姿花伝」があります。
晩年の世阿弥の運命とは?
そんな能一筋の人生でしたが、後半は悲しい運命でした。
後継者となるはずの息子の急死、後継者争い、70歳で佐渡ヶ島に島流しにされてしまいます。
どうやら世阿弥(ぜあみ)に非はなく、政治的理由によるものとの説があります。
流刑地の佐渡ヶ島で80歳の生涯を閉じました。
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