【侘び寂び わびさび】意味をわかりやすく解説!日本人独自の美意識と精神 具体例と使い方 茶道との関連は?

侘び寂び 

この言葉を聞いたことはあっても、人に説明するとなると、どう説明していいかわからない。

そんな人、多いのではないでしょうか。

わびさびは日本人なら誰しも、DNAに刻み込まれている感性です。

この記事では、侘び寂びについて、わかりやすく解説します。

侘び寂び(わびさび)とは簡単にいうとどんな意味?

門と紅葉
門と紅葉。命を燃やすかのようなもみじの赤。やがてくる散りゆくときを前に、最後の輝きを見せてくれる。

「侘び」と「寂び」は仏教の禅の考えに基づいた美意識であり、もともと別の言葉でした。

侘び」とは、簡素なものの中にある味わいのことです。

寂び」とは、古びて味わいのある様子、枯れて渋みのある様子です。時間の経過とともに味わいがにじみ出るようなおもむきのことをいいます。

本来貧しさや寂しさはネガティブなものですが、貧しさの中に簡素な美を発見して「わび」といい、時間を重ねて廃れていく中に渋さや味わいを見出し「さび」と言い表しました。

侘び寂びとはネガティブをポジティブに変える、なんとも前向きの思想です。

見えないものを見ようとする日本人の細やかなセンスと美意識が、侘び寂びという言葉に凝縮されています。

目に見えるものだけがすべてではなく、その奥にある美を見つけ出そうとするものの見方が「侘び寂び」です。

 

ちなみに、単に朽ち果てたものはわびさびとは言いません。

朽ち果てて今にも崩れそうな古民家から、わびさびの美しさを感じることはできません。

手入れしながら今に残るもの、息づかいと美しさが感じられるものから受ける感じが侘び寂びです。

何代にもわたって住み継がれてきた古民家を、リノベーションでよみがえらせたとします。

木と土、紙で作られた古民家には、長い年月と歴史が刻まれています。

生き返った古民家からは、その家が刻んできた年月や空気がそこはかとなくにおうでしょう。

目には見えなくとも、そういう雰囲気が感じられることが侘び寂びなのです。

 

わびさびとは、あるがままの自然ではなく、人が手入れして整えしつらえた美しさです。

お寺の庭にわびさびを感じるのは、雑草をとって落ち葉を集めて、庭の苔(こけ)が美しく育つように手入れしているからです。

このように、見えるものだけでなくその奥にある人の仕事を想像することでも心が豊かになります。

侘び寂び(わびさび)の意味、使い方や具体例は?

侘び寂びのひとつの例として、京都の龍安寺(りょうあんじ)を挙げましょう。

龍安寺の石庭といえば、白砂に自然の形の石が配置されていることで有名です。

15ある庭の石はどの角度から見ても、一度に見渡すことはできません。

 

枯山水の庭では、白砂を水に、石を山に「見立て」る考えも禅宗の思想によるものです。

すべてが見えないことも侘び寂びを理解する上で欠かせません

禅では不均等や不完全なものを美しいとし、すべて満たされる状態を嫌います。

龍安寺の石庭
龍安寺の枯山水の石庭

全部で15ある石が14しか見えなくても、庭には15の石が確かに存在していて、小宇宙が形成されているという考え方です。

5の石は3の石の後ろに隠れていても、存在しています。

ポイントは、目で見るのではなく、想像すること。

見えないものを想像して思いを巡らすことも侘び寂びの考え方です。

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わびさびの意味、ハレとケ、わびさび

ハレとケという考え方は民俗学者の柳田國男によって見出された日本の昔からの生活習慣です。

 

「ハレ」は「晴れ」 お祝い事・節目・お祭りなどの非日常

「ケ」は「褻(け)」いつもの日常

 

現代では、ハレとケの区別はあいまいになっていますが、昔はふだんの毎日とお祝いごとのある日とのメリハリは今よりもずっと差がありました。

 

わびさびとは、「ケ」つまり日常を豊かにする考え方だともいえます。

何でもないものの中に、美しさを見つける。

不完全なものの中に美を感じる。

淡々と続いていく日常にわびさびが寄り添ってくれたとしたら、平凡な毎日が心豊かに暮らせるでしょう。

 

わびさびの意味を簡単に!桜と花見とわびさび

日本人の繊細な感覚といえば、桜を抜きには語れません。

毎年3月ともなると、桜の開花予報に多くの人ががそわそわし始めます。

 

つぼみがほころびはじめると、いつ咲くのかと心待ちにし

3分咲きに、咲き始めたと喜び

5分咲きに、もうすぐ満開になるとわくわくし

8分咲きに、満開を見て

満開で、散り始めを気にかける

散りゆく様子さえ「桜吹雪」と称賛(しょうさん)します。

散り際の美しさ、はかなさは、よく人生にも例えられます。

散りゆく桜の美しさは、朽ち果ててゆくものを美しいと感じる侘び寂びの精神にも通じます

 

桜の散り際の美しさに心が震えた、わたしの体験をお話しします。

ある日、公園の桜が見えるカフェで打ち合わせをしていたときのこと。

窓の外にふと目をやると、よく晴れた空に桜吹雪が舞い散る様子にはっとさせられました。

命を燃やし、今まさに散りゆく花びら。

日の光を受けて白く輝き、踊り、かろやかに散っていく様子のなんといさぎよいことよ!

未練などない、といっているかのごとく。

もしかして桜は散るために咲いているのではないか、とさえ思えるほどでした。

 

桜の散り際に感動できるようになったのは、50年という人生の歳月を生きてきてそれなりに人生経験を積んだからだと思います。

こんなふうにものの見方に奥行きが出てくるのも、わびさびに通じるのだと思います。

わびさびの精神が生きる千利休が大成した茶道とは?

わび茶は茶人の村田珠光(むらたじゅこう)によって始まり、武野紹鴎(たけのじょうおう)に引き継がれ、千利休(せんのりきゅう)がおもてなしの心を付け加えて大成させました。

その時代の茶の湯は、権力者や大名の権威(けんい)を見せつけ豪華さを競う自慢大会のようになっていました。

この茶の湯のあり方に疑問を呈した村田珠光は、大広間ではなく狭い四畳半の茶室で茶の湯を開く「わび茶」を考え出しました。

大広間でそれまで大人数で楽しんでいた茶の湯ですが、4畳半という限られた空間には、選ばれた人しか入ることができません

一服のお茶をいただく
一服のお茶をいただく

私も経験のあることですが、大勢の宴会では当たり障りのないうわべだけの会話しかできませんが、少人数になるとグッと親密度が増し心を開いてコミュニケーションがとれます。

村田珠光もおそらくそういった心を通わせる茶の湯を目指していたのではないでしょうか。

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一服の薄茶

 

禅の思想を取り入れたわび茶は、器もそれまでの豪華な渡来ものではなく質素な普段使いの茶碗を使うようになりました。

千利休が焼かせたという「黒茶碗」は今でこそ名器と呼ばれるものですが、当時は質素で地味な茶碗として見られていました

なぜこのような質素な茶碗をおもてなしの席で使うのか、と豊臣秀吉は理解に苦しんだといいます。

狭い茶室、簡素な器、余計な装飾を削ぎ落とした精神的な交流を主とするわび茶は、抽象度が高くわかりにくい茶の湯でした。

わかりにくさとは裏返せば、自分で理解しようとする積極性が求められ、「わかる」のではなく「感じる」心を試されていたのかもしれません。

侘び茶とは、わかるのではなく感じる茶だといえます。

言葉では説明できない余白を読み取ろうとするセンスや、心の豊かさに重きがおかれたのだと思います。

 

わびさびの精神が息づく禅寺、庭園

侘び寂びを体感するのに最適の場所をご紹介します。

京都の東福寺です。

紅葉シーズンともなると大勢の観光客で賑わう観光スポットです。

通天橋からの眺めは燃えるような紅葉がダイナミックに広がり、木造の橋とのコラボレーションはフォトジェニックなスポットとなっています。

映画「愛の流刑地」のロケ地にもなリました。

 

そんな東福寺は、観光客の多い時期をあえて避け、オフシーズンに行くのがおすすめです。

個人的には5月中旬〜6月中旬にかけての新緑の季節をおすすめします。

新緑は青もみじともよばれ、まぶしい緑、あふれる生命力は、みなぎるパワーを与えてくれます。

平日の空いている時間帯を狙ってお出かけください。

 

さて、東福寺の見どころは、本坊庭園。

苔(こけ)で市松模様を描いた庭はパンフレットなどで目にしたこともあるのではないでしょうか。

東福寺の庭の市松模様
東福寺の庭の市松模様、フェードアウトする手法が使われている ※出典 NHK『美の壺 市松模様』

方丈(ほうじょう)を囲む4つの庭があり、市松を含む8つの意匠(いしょう)をそれぞれに盛り込んでいます。

西庭にはサツキを大胆に市松の形に刈り込んだ配置があり、北庭の市松模様の苔へと連続性を持たせています。

その先は市松模様がだんだんと小さくなりフォードアウトしていきます。

侘び寂びと現代デザインとの融合ともいえる作品ですが、実はこの庭が作られたのはおよそ80年前、日本画を学んだ作庭家・重森三玲(しげもり みれい)の作庭です。

簡素でありながら大胆、想像力を掻き立てられはかなさも表現されている。

抽象画のような4つの庭は、見方や感じ方を見る人に委ねる余白があります。

見方を押し付けるのではなく、自由に想像してその人なりの見方をすればよく、感性を育むレッスンと心得て鑑賞してみましょう。

わたしは以前この庭を見て、その斬新さにガツーンとやられました。

単純なかたちの繰り返しの中に独特のリズムがあり、ものごとはうわべだけでなく本質を見抜く努力をしなければならない。

そんなメッセージを受け取りました。久しぶりにまた訪れてみたくなりました。

 

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東福寺の庭の市松模様
東福寺の庭の市松模様 ※出典 NHK『美の壺 市松模様』

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現代デザインの中にみるわびさび

侘び寂びは簡素な中に美を見出し、古びていくものをいとおしむ感性です。

侘び寂びは古いものだけでなく、現代のデザインの中にも生きています。

侘び寂びは日本独特の考え方で、英語には訳せないと言われていますが、北欧のインテリアには侘び寂びに通じるものがあると、わたしは思っています。

 

北欧家具のYチェアは、無垢の木で手作業で丁寧に作られた椅子で、アースカラーの木肌は年月とともに味わいを増します。

また戦後に建てられた日本家屋は、ビニールクロスや合板のフローリングが主となり、中古住宅では経年劣化して価値がないものとなってしまっていますが、無垢の木を使って建てられた住宅は経年変化で味わいが増すとされています。

 

そのひとつの例が古民家再生です。

近年わずかずつではありますが、古民家をリノベーションして現代の暮らしに生かす取組が進められています。

東洋文化研究者のアレックス・カー氏が手がける古民家再生プロジェクトは、侘び寂びを現代デザインに生かす好例だと思います。

古民家を再生して住む
古民家を再生して住む

Yチェアにしても無垢の木の古民家も、経年劣化ではなく経年変化というポジティブな考えが、侘び寂びに通じています。

時間が経つほど古くなるのは自然の摂理ですが、古びることが劣化ではなく味わいや趣きを感じられる侘び寂びの美学がそこにはあります。

無垢の木材は、傷もつけばカビも生える、それを味わいと感じられるのは、変化した時間の中に物語が内包されているからです。

美しく朽ちること、それが侘び寂びの真髄でもあります。

 

わびさびはミリマリズムとどう違う?

近年若者世代を中心に広がっているミニマリズムは、必要最低限の持ち物でモノにしばられず軽やかに暮らすライフスタイルで注目が集まっています。

簡素、シンプルという点において侘び寂びとの共通点もありそうですが、実際にどうなのか調べてみました。

 

侘び寂びとは、ものの裏側にある作り手の思いや精神を読み取り感じることで得られる受け手の境地です。

一方、ミリマリズムは、まず自分の好み(例えばシンプルで装飾を削ぎ落としたモノ)があり、自分にとって快適な取捨選択をすることが出発点となっています。

つまり、出発点そのものが侘び寂びとミニマリズムでは異なっています。

シンプルなインテリア
シンプルなインテリア

侘び寂びとミリマリストは、受け入れる度量にも差があります。

わび茶では、ときに奇抜な表現も現れました。

古田織部(ふるたおりべ)の水差し「破れ袋」は、個性的すぎる創作として語り草になっています。

わび茶の創始者村田珠光は、失敗作だとも受け取られ兼ねない奇抜なこの作品に、自然のあるがままの美を見出しました。

一方、ミリマリストは、自分の基準から外れたものは選ばないので、ライフスタイルやファッションにも一貫性があります。

よって、侘び寂びは見出すことミリマリズムは選び取ることここが決定的に違います。

 

わびさびの意味:まとめ

侘び寂びとは、心で感じる「感性」です。

侘び寂びをまとめてみます。

木や土などの自然素材で作られたモノが、時間の変化によって味わいを増す様子
質素で簡素だけど、味わいがあること(引き算の美)
手を入れて整えられた美しさ
目に見えるものの奥に宿る美しさ

 

わびさびとは、質素、簡素という足りないものの中に味わいや趣きを感じ、枯れていく様子にはかなさという美を見つけ出した日本人独特の感性です。

質素ゆえに、そこに宿る精神を読み取ろうとする心が試されます。

ことばで説明はできなくても、心が動き、世界観を感じることができたら、わびさびを体感したといえます。

五感を研ぎ澄まして、侘び寂びを感じてみましょう!

 

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つくばい

 

最後まで読んでくれはって、ほんまにおおきに〜〜ありがとうございます!

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