能の主役 狂言の主役 シテとワキについて|役割と役柄

どんな芸能でもそうですが、能狂言にも主役と脇役が登場します。

この記事では、能狂言の主役「シテ」を中心に、演目に登場する能役者のそれぞれにの役柄と役割についてお伝えします。

能の主役はシテ、面をつける

能の主役は「シテ(仕手)」と呼ばれます。

人間を超越した霊や鬼、神などこの世のものではない役柄です。

この世に思いを残していたり、伝えたいことがあったりして登場します。

面をつけている人がシテ、能役者で主役級の人です。

面をつける意味とは?

面をつけるのは、異界のものであることを意味しています。

能役者で主役のシテは、亡霊がこの世に残した思いを語ります。

能のストーリーは悲劇が基本です。

しみじみとした趣(おもむき)を「幽玄(ゆうげん)」と言い表します。

私も能に親しみ始めたころ、面をつけた主人公からどことなくこの世のものではない雰囲気は感じていましたが、面をつけるとは異界のものという意味があると知って納得できました。

ちなみに「面」を能では「おもて」と呼び、「おもてをかける」「おもてをつける」といいます。

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衣装が派手な人が主役!

もう一つの見分け方として衣装に注目してみましょう。

「衣装」のことを能では「装束(しょうぞく)」といいます。

わかりやすくいうと、衣装が豪華な人物が主人公です。

登場すると一気に華やかな世界観が舞台に広がります。

シテはセリフをふしをつけた謡(うたい)で表現します。

謡のスピードはゆっくりでα波を発していて、これが眠気を誘う要因ともいわれます。

慣れてくると謡はとても心地よく響き、身も心も能の世界に浸ることができるのですが。

私は何度か能を見るうちに、あるときふとセリフがきき取れるようになった経験があります。

そのときの物語の世界に入り込めた感覚はなんともいえず心地がよかったです。

狂言の主役は一般庶民

能が神や貴族や武士の霊など高貴な人物だったのに比べ、狂言の主役級の人は一般庶民です。

狂言の登場人物は、主人と家来1、2人ほどです。

基本的に主人が主役の場合が多いのですが、中には使用人である太郎冠者(たろうかじゃ)が主役になる演目もあります。

太郎冠者が主役になる代表的な演目に「附子(ぶす)」があります。附子はストーリーも明快でわかりやすく、狂言入門編としてもおすすめです。

狂言では主人も使用人もどこか抜けていてこっけいな人物として描かれ、人間の心の弱さやずるがしこさを笑いに変えてしまうのが特徴です。

衣装での見分け方は、主人の衣装は裾を引きずる長袴(ながばかま)、家来は動きやすいくるぶし丈の袴(はかま)をつけています。

大物俳優でもときには脇役を演じるのと同じように、狂言でも演目によって主役級の役者でも脇役を演じるのです。

臨機応変な対応だと思います。

確かに「附子」は、太郎冠者が大活躍、大暴れする演目で、セリフも見せ場も多く使用人が主役だと知って納得できます。

能のシテを演じるのは「シテ方」の5流派の能楽師、狂言は2流派の狂言師が「シテ」を演じる

能のシテ方5流派

能は完全分業制となっていて、主役のシテを演じるのは「シテ方」である5流派の宗家となります。

  1. 観阿弥・世阿弥を祖先とする観世流(かんぜりゅう)
  2. 宝生流(ほうしょうりゅう)
  3. 金春流(こんぱるりゅう)
  4. 金剛流(こんごうりゅう)
  5. 喜多流(きたりゅう)」

の5つの流派があり、それぞれに芸風が異なっています。

シテ方の能楽師は、シテの他に地謡(じうたい)や後見(こうけん)の役を務めることもあります。

これにはシテを演じる上でその背景や情景も理解しているからという理由があります。

能には、シテ方(主役)、ワキ方(シテの相手)、囃子方(はやしかた)がありますが、

シテ方はシテと関連する役(地謡・後見)を、

ワキ方は脇役のみを、

囃子方は音楽隊のみを担当します。

シテ方がワキを演じることは決してありませんし、ワキ方はシテを演じることもしません。

シテ方の有名人を挙げるなら、観世流能楽師の観世清和(かんぜ きよかず)氏です。

天皇陛下と同窓ということで、令和の幕開けではテレビで目にする機会も多かったです。

2020年6月には、丸一日かけて「五番能(ごばんのう)」という江戸時代の正式な上演形態を一人で演じるなど、精力的な活動に打ち込まれています。

狂言の2流派

狂言には、和泉流と大蔵流の2流派があります。

2流派の中で、家単位で分かれていて芸風が少しずつ異なります。

狂言師の有名人では、和泉流狂言師の野村萬斎(のむらまんさい)が代表的でしょう。

狂言を見たことがなくても、テレビや映画での活躍を知っている人は多いでしょう。マルチな才能で注目されています。

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能狂言ともに、脇役は主役を引き立てる重要な役割

能の脇役

能の舞台では、演目や流派によっても違いがありますが、出演者はシテを含み総勢15〜20名ほどになります。

主役である「シテ」、相手役の「ワキ(脇)」、音楽を奏でる「囃子方」、情景をコーラスで唄う「地謡」からなります。

「ワキ」は僧侶や旅の僧などの役柄が多く、まず「ワキ」が登場し時間や場所、状況を語って聞かせます。

次に「シテ」が登場し「ワキ」に身の上や胸の内を語ります。

脇役である「ワキ」は主役である「シテ」の話を引き出し、本心を語らせるようにしむける重要な役どころです。

  • シテ・・・主役 基本1名
  • ワキ・・・シテの相手役 1〜2名
  • 後見・・・2名程度
  • 地謡・・・7〜8名
  • 囃子方・・・4名程度

ワキ・・・脇役

シテの身の上話に耳を傾け、物語の世界へといざなう。

後見・・・監督

舞台の監督役。シテが小道具を途中で持ったり、着物を脱いだりした場合に介添えしたり、万が一があった場合にも備える役目。

ほとんどは後ろに控えてじっと座っている。

台本がすべて頭の中に入っていて、シテのセリフと動きを見守り監督する役。

地謡・・・コーラス

謡のうちシテやワキのセリフでは表現しきれない情景をコーラスで唄い上げる。

囃子方・・・演奏隊

太鼓(たいこ)、大鼓(おおつづみ)、小鼓(こつづみ)、笛(ふえ)。大鼓、小鼓は椅子に座って演奏する。

「ヨーッ、ホーッ」など言葉で合いの手を入れる流派もある。

能を何度か見たときに「後見」の存在と役割が気になりました。

脇役の中でも、ワキや囃子方は、言葉や音を発するので目に入ってきます。

正面の一番奥で控えている「後見」。

視線を定め姿勢を正し、長時間にわたり身動きすることなくじっと座っています。

相応の体力がなければできないでしょう。

観客の目にさらされているので、むろん居眠りなどできません。

必要なときには頭と体が同時に動くのでしょう。

黒子的な存在ですが、面をつけたシテは「後見」の存在を感じ安心して演じられるのだと思います。

狂言の脇役

狂言の登場人物は主従関係である主人と家来が1、2人の場合が多く、(演目によっても例外はありますが)家来が脇役になる場合が多いです。

狂言の脇役を「アド」といいます。

家来の役名は「太郎冠者(たろうかじゃ)」と呼び家来の年長者という設定です。

 

冠者(かじゃ)とは成人した男子を指す言葉です。

家来の二番手は「次郎冠者(じろうかじゃ)」で、それぞれ太郎さん、次郎さんという一般の人という立場を表していて、固有名詞ではありません。

誰にも親しみのある名前で登場しているというわけです。

 

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太郎冠者は好奇心旺盛で要領が良く、とんちが働き機転が利くといった人間味あふれる役柄が多いです。

主人をやりこめる演目も多く、主人とのかけあいのシーンはテンポもよく見せ場となっています。

狂言には囃子方などの音響は登場せず、ナレーションや音響もすべて主役と脇役が演じます。

酒を注ぐ様子を「ドブドブドブ」、寺の鐘の音を「ジャーン、モーン、モーン」など擬音をセリフとして言うのが特徴です。

言語劇である狂言では、主役と脇役が言葉の応酬(おうしゅう)戦のようなやりとりを繰り広げます。

言われたら言い返せとばかりのかけあいは、脇役も存在感を放ち主役を引き立てる重要な役どころとなっています。

狂言の登場人物は現代に置き換えるならば、上司と部下の関係に例えられると思います。

部下が頭を使って上司をぎゃふんといわせる顛末(てんまつ)は、文句なしに爽快です。

笑いとは人間に与えられた知恵と高度なコミュニケーションなんだと、狂言から学ぶことは多いです。

昔も今も基本的に人間ってそう変わらないのですね!

ストレスや境遇を笑いに昇華させるとは、狂言は奥深い舞台芸術です!

能のワキは「ワキ方」が演じ、ワキは決して「シテ」を演じることはない

能のワキ方には3流派があります。

「高安流(たかやすりゅう)」

「福王流(ふくおうりゅう)」]

「下掛宝生流(しもがかりほうしょうりゅう)」の3つです。

シテ方に比べて注目度は低いワキ方ですが、観客を能の世界に引き込み、シテが自ら語り出すように流れを整え、聞き上手に徹します。

分業制のため、ワキだけを演じ、面をかけたシテを演じることはありません。

能狂言の主役・脇役、まとめ

能も狂言も、主役と脇役の役割には一定の型があり、型にはめて演じることがおきまりです。

能の主役はこの世のものではなく、神や鬼、亡霊です。

この世に残した思いを語る悲劇です。

能の脇役は旅の僧などの役柄で、主役の話をだまって聞いてあげる聞き役です。

主役は心の内をはき出すことでスッキリして、舞を舞いながらあの世へ戻ります。

 

一方、狂言では主役と脇役との言葉のかけあいで話が進みます。

とんちとユーモアをおりまぜて話が展開されます。

ピンチを切り抜ける主役のずるがしこさ、世渡りをする知恵が見ものです。

能では主役と脇役の身分差や役割はしっかりと線引きされています。

一方狂言の場合は、主役と脇役が身分の差をこえて人間らしいおかしみをテーマにドタバタを繰り広げる、そんな芸能です。

この記事が能狂言の理解の一助になればうれしいです。

 

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