一万円札の顔としておなじみの福沢諭吉。
福沢諭吉の残した名言「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
誰もが知っていることばだと思います。
名言とはいいながら、間違った解釈がされていることばでもあります。
人は生まれながらに平等だ、そう単純な話ではなく、あることをする機会は平等に与えられているという本題に入る前の前フリとして、このことばが使われています。
この記事では、福沢諭吉の名言と言われる「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の真意についてお伝えします。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず、間違った解釈とは?
よくある解釈に、
人は生まれながらにしてみな平等。家柄や財産の有無、職業などによって差別されてはならない。
だから人はみな平等だと理解されていることが多いです。
本当に諭吉が言いたかったことは、このあとに続く文中で述べられており、
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は前振りの部分なのです。
世間一般ではそう言われていますが、本当は・・・と続くわけですね。
たしかに世の中には本音と建前があります。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は建前ということです。
でも、福沢諭吉さんは、学問をすることによって、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」になれると言っています。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず、ことばが生まれた背景は?
時は幕末、封建社会が終わりをむかえ資本主義社会が始まろうとしていました。
士農工商の身分制度はまもなくなくなり、これからは自分の力で稼いでいかなくてはならない時代になると、福沢諭吉は感じていました。
世間一般には、人間はみな平等だといわれているけれど、
世の中を見渡してみると、豊かな人、貧しい人、学問のある人、ない人、いろいろな人がいます。
この差はどこからくるのか?
それには学問が大事なのではないか?
よく知り、よく考え、よく行動するためには、学問が大事なんだ!
よし、学問の大切さを伝える本を書こう!となって
前フリで一般的な解釈をもってきて、でも本当にそうだろうか?と問題に切り込んだのです。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずの真意は?
貧富の差をなくすには、勉強することが大事だ、と気がついた福沢諭吉さん。
学問の機会はみなに平等に与えられているんだ!
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の社会を実現するには、学問をすることだ!
学問の必要性を多くの日本人に知らせようとして『学問のすすめ」を書きました。
『学問のすすめ』は、現代でいう自己啓発本のようなもので、当時ベストセラーになりました。
現代でいえば、ロバートキヨサキ氏の『金持ち父さん、貧乏父さん』のような位置付けでしょうか?
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず、だから学問のすすめ
学問はいくつになってもできます。
社会人になってからだって、興味のある分野について学び直すことは可能ですし、独学で道を極めることだって不可能ではありません。
福沢諭吉は、手厳しいことばも残しています。
文句ばかり言ってないで勉強しなさい、と言っています。
人生100年時代、今こそ学問のすすめ!
学問をして稼ぐ力がついた人のところには、諭吉さんがやってくるというわけですね。
そう考えれば、諭吉さんが一万円札の顔になっているのも、意味があることなんですね〜
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最後まで読んでくれはって、ほんまにおおきに〜〜ありがとうございます!