密教とは秘密の教えと書きます。
書いて字のごとく口外してはいけないマル秘とされていて、その全貌(ぜんぼう)は門外不出
修行を積んだ人のみぞ知る秘密の教えです。

この記事では、そんな秘密の教えがどんなものか知りたい、
そんな知的好奇心から、わたしが調べた内容をできるかぎりやさしくまとめたものです。
密教の教えとは?
密教とは平たくいうと、仏教のウラの教えです。
仏教では、輪廻転生(りんねてんせい)して何度も生まれ変わって気の遠くなるような修行の末に、極楽浄土に行き着くという教えです。
密教は、即身成仏(そくしんじょうぶつ)、つまりだれでもすぐに生きていながら仏になれると説きます。
即身成仏すると、人の考えていることが読めるテレパシーや透視、未来を見る力などの超能力が身につくのです。
しかし、こうした超能力は、人前でむやみに使ってはいけません。
一般社会では使うことが許されず、布教のためだけに使うおきてがあります。
なぜなら、超能力は使い方を一歩間違えると人を不幸におとし入れることもあるからです。
密教の秘密の教えとは?
では密教の秘密の教えは、どうやって身につけるのでしょうか。
密教は仏教ですが、ヒンズー教の影響を色濃く受けています。
超能力やテレパシーが身に付くなど謎の多い教え、しかも即身成仏(そくしんじょうぶつ)ですぐに悟りを開けるとうたってはいますが、
インスタントで、にわか修行で悟りの境地に至れるのでは、もちろんありません。
輪廻転生ほどの数億年という年月はかかりませんが、数年の厳しい修行を積む必要があります。
密教は怪しい危険な教えなのか やばい?修行で超能力やテレパシーが身につくって本当?
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密教では修行僧を「阿闍梨(あじゃり)」といい、真冬に不眠不休で比叡山の山中を歩き回る修行や、真っ暗闇のお堂の中を、目隠しをして歩いて回る五感を駆使した体を張った厳しい行で、精神力を試されます。
断食、瞑想、座禅なども。
その修行の過程で、見えないものを見たり、聞こえないものを聞いたり、超絶な苦行の中では人間を超越した体験をするのです。
そのひとり、角大師護符のモデルになった、比叡山の高層・良源さんも疫病平癒を祈る最中に悪魔を見たといわれています。
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そうやって修行を積み、階級が上がったときには、超能力、つまり人智を超えた天の声とでもいうような大いなる力を授かります。
それが超能力であり、人の心を見抜く力、正しく使えば慈悲の心で人を導くことができ
間違った使い方をすれば人を呪い殺すこともできる
そのくらい大きく恐れ多い力を身につけるのです。
密教の奥義、性秘儀とは何か?官能的な仏像に驚き!
密教では、女人禁制のイメージがあるかと思いますが、一概にそうではありません。
それどころか、真言宗を開いた空海は、人間の性的欲求を自然のことだと、否定してはいません。
空海は中国で密教を学び日本に持ち帰りました。
ヒンズー教の流れをくむ密教は、男女の性の交わりを崇拝する思想があります。
それによって生み出される命は、神秘とであり宇宙の創造物だとととらえています。
現実、ヒンズー教の仏像には、男女が交わっている仏像が寺院に収められています。
そんな大陸の密教を現地で見てきた空海は、日本に帰ってから性秘儀を封印したのです。
それはなせか?
男女の性は生物の営みとしてあるべきものですが、仏の道を極める上で性欲は、修行の邪魔になると判断したためだと考えられます。
性欲は人間の欲望の一つですが、密教の修行をする上で刺激的すぎて毒になると考えたのも、うなずけます。
空海は真言宗の聖地・高野山を、女人禁制の聖地としました。
ヒンズー教には男女の性行為をかたどった仏像があり、今でも現地の寺院で見ることができます。
宗派の権力者に自分の妻を差し出して、生贄(いけにえ)ならぬ性行為をさせることで、自分たちが救われるという信仰のかたちもあったようです。
密教の仏像の慈悲深さと親近感

独特の思想感は教えだけでなく、崇拝の対象である仏像にも表れています。
密教の仏像には、やわらかな曲線をもった官能的な仏像が多く存在します。
よく知られている千手観音も、密教の仏像です。
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京都・醍醐寺の如意輪観菩薩(にょいりんかんのんぼさつ)は、やわらかな手足の線、ほおずえをついて思索にふけるお姿が、とても人間っぽく親近感が持てます。
京都太秦の広隆寺、弥勒菩薩は、慈悲深く私たち人間と同じ立場で悩み考えてくださる女神のような柔和な表情をしていらっしゃいます。
最後まで読んでくれはって、ほんまにおおきに〜〜ありがとうございます!