善竹富太郎さん持病はなかった?コロナで訃報!狂言界にとって惜しい人失くす

狂言師の善竹富太郎(ぜんちくとみたろう)さんの訃報を知ったのは、2020年6月4日の読売新聞でした。
コロナウィルス感染拡大前の2月、国立能楽堂で上演された演目をNHK「にっぽんの芸能〜太郎冠者」で見て、善竹富太郎さんのおおらかな演技が脳裏に焼きついていたので、急には信じられませんでした。

この記事では善竹富太郎さんの急逝(きゅうせい)と生前のご活躍についてお伝えします。

善竹富太郎さん コロナによる敗血症で死去

狂言師の善竹富太郎(ぜんちくとみたろう)さんが2020年4月30日、入院先の東京都内の病院で亡くなられました。40歳でした。

のびやかで張りのある声量と安定感のある体格で、狂言界の第一人者として活躍中でした。

2020年6月4日の読売新聞の記事を見て、びっくりしました、信じられへん気持ちでいっぱいでした。

善竹富太郎さんは実はわたし、テレビでしか見たことがないんですが、恰幅(かっぷく)のよい体格と愛嬌のある笑顔からチラリとのぞく真剣なまなざしが心に残っています。笑顔の裏から垣間見えるキラリと光る眼光は、狂言師としての使命やったと感じています。

2月にNHKで放映された「にっぽんの芸能〜太郎冠者」の録画を改めて見返しています。堂々としたたたずまいとおおらかな演技は、富太郎さんにしか出せへん味やと思います。亡くなられてから1か月以上も経ってから公(おおやけ)になるんは、狂言界にとって惜しい人を失くした残念さを考える時間やったんかもしれません。

持病はなかった?急激に悪化した可能性が!

肺炎や気管支炎で診察を受けたことはあったが、持病はなかったそうです。
新型コロナウィルスに感染していることがわかってからわずか2週間ほどの短い間でした。

善竹富太郎さんの本名は茂山富太郎、京都の茂山千五郎家との関係は?

善竹富太郎さんの本名は茂山(しげやま)富太郎さんです。茂山って、京都の茂山家?狂言好きな方なら、ピンときますよね〜 お亡くなりになった善竹富太郎さんと京都の茂山千五郎家は、遠い親戚にあたります。ただ、分家・養子の関連で本家の茂山千五郎家から分かれており、血縁はありません。

直接の血縁はなくても家が続くということは、そこに迎えるお嫁さんや養子含め、ともにあとをつないでくれるということです。間接的につながっています。

善竹富太郎さんの家系と親、兄弟は?

善竹富太郎(ぜんちくとみたろう)さんは曽祖父に狂言師として初めて人間国宝に認定された善竹弥五郎さんを持ち、父親は狂言師の善竹十郎さんです。弟も狂言師の善竹大二郎さん。筋金入りの狂言師一家にお育ちになりました。

善竹富太郎さんの学歴、大学は?

善竹富太郎さんの最終学歴は、学習院大学を卒業されています。父親である善竹十郎さんの教育方針は学業優先だったようで、学業に専念された学生時代でした。

善竹富太郎さんの挑戦

幼稚園や小学校での狂言講座、学習院大学や早稲田大学でも狂言を教えておられました。

また新しい試みとして狂言とオペラを融合させたコンサートを催すなど、狂言の普及に熱心に取り組んでおられました。伝統芸能の世界はしきたりを重んじると思われがちですが、狂言の可能性を広げる挑戦に意欲的でした。

狂言は心の栄養と銘打ち、狂言に親しむ機会を作り出し笑いの文化を次世代へ伝えるために尽力していらっしゃった善竹富太郎さん。室町時代から続いてきた狂言一家に生まれた狂言師としての誇りと使命を強く持っていらっしゃいました。

善竹富太郎さんのホームページは永遠!富太郎さんの痕跡が残る

お亡くなりになってからも、ホームページには訃報にふれず、そのままの状態で保たれています。善竹富太郎さんが生前、狂言の普及に努められた痕跡がページ全体からあふれるように伝わってきます。

あまりに早い急逝(きゅうせい)は残念でなりませんが、どうかごゆっくりとおやすみください。
いきいきと演じていらっしゃった富太郎さんのお姿をしのび、ご冥福を申し上げます。

私たちに狂言のおもしろさを伝えていただき、ありがとうございます。
これからも狂言を楽しみます。