ここ最近能がテレビに取り上げられる機会が増えていて、能ファンのわたしとしてもうれしく思っています。
2021年5月から放映されたNHK朝ドラ「おかえりモネ」では、森の中の能舞台が登場しました。
この記事では、朝ドラ「おかえりモネ」に出てきた能舞台についてご紹介します。
おかえりモネのロケ地、能舞台はどこにある?
浜野謙太演じる佐々木課長が、地元に伝わる能、登米能(とめのう)を舞ったのが、伝統芸能伝承館 「森舞台」です。
週末のお天気を気にしていた佐々木課長でしたが、雨が降らずに薪能(たきぎのう)が開催できてよかったですね。
能が演じられたのは、竹林に囲まれた森の中の能舞台!
モネは、能を舞う佐々木課長や地元のヒバを使った能舞台を目の当たりにして、不思議な感動をおぼえるのでした。
■名称:伝統芸能伝承館 「森舞台」
■住所:宮城県登米市登米町寺池上町42
■博物館と能舞台がある
■上演:毎年6月新緑薪能 9月秋祭りの薪能を上演
■設計:建築家 隈研吾氏
■鏡板(ががみいた)の画:日本画家 千住博氏
■受賞:平成9年 日本建築学会賞受賞
森と竹林と能舞台が一体になったすばらしいロケーションの能舞台です!
能ファンのわたしとしては、ぜひ訪れたい場所のひとつになりました。
おかえりモネのロケ地となった能舞台は世界的建築家隈研吾氏設計!「森舞台」
朝ドラ「おかえりモネ」に登場する能舞台は、世界的建築家の隈研吾氏の設計です。
このとき隈研吾氏は41歳、竣工翌年の平成9年 日本建築学会賞を受賞しています。
この受賞をひとつのきっかけとして、隈研吾氏はその後の活躍へと続いていきます。
隈研吾氏は、能を自然の森の中に開放しようという試みを込めて設計したと語っています。
鏡板(かがみいた)の老松と、脇鏡板の若竹は、日本画家の千住博(せんじゅひろし)氏の筆によるものです。
これも若き日の千住博氏、37歳のときの作品です。
全体を緑で覆い尽くす密度の濃い松の枝ぶりが、印象的!
実際の大きな松がそこに存在するような雰囲気をかもしだせれば、と千住博氏はコメントしています。
ゆたかな森の広がりを感じさせ、能の発展、ひいては地域の発展をも願っているような堂々とした松です。
若竹は目の覚めるような群青で描かれているのが、斬新(ざんしん)です。
抽象的な色使いは、他に類をみない試みです!
千住氏は群青で描いた若竹について、若さに通じる青であり精神性の象徴でもあるといっています。
#おかえりモネ【森舞台】米麻町の町民が誇りに思っている ヒバで出来た由緒ある能舞台。ロケ地は、宮城県登米市登米町寺池上町にある伝統芸能伝承館 の「森舞台」。地元では有名な場所です。 pic.twitter.com/1elr6pmtcE
— ひぞっこ (@musicapiccolino) May 17, 2021
この目の覚めるような群青の若竹には、異世界へいざなうような不思議な力を感じます。
能舞台では異世界の人と、今を生きる人が同じ場所と時間を共有するという不思議なドラマが展開されます。
目に見えない心や気といったものを、この若竹から感じ取ってほしい、そんな思いも込められているようです。
能舞台はもともと自然と一体化していた
もともと能舞台は、武家屋敷や神社の境内(けいだい)に建てられてきました。
風を感じ、季節のうつろいを感じながら、自然と一体となるロケーションで、能は演じられていました。
能は武家のたしなみであり、武家の式楽(儀式の際に用いられる音楽)でした。
能楽堂というホールの中に能舞台がすっぽり入ってしまったのは、明治時代以降です。
伝統芸能として政府が能狂言を保護するようになり、能舞台のありかたも変わっていったのです。
おかえりモネのロケ地、登米能は、伊達政宗のおひざ元で発展してきた宮城の文化!
伝統芸能である能の伝承には、能を稽古して演じる素地が必要です。
プロの能楽師には5流派があります。
登米能はアマチュアの能楽師が演じます。
朝ドラ「おかえりモネ」では「とめのう」と発音していましたが、これはドラマ用で、正式には「とよまのう」といい、230年の歴史があります。
全国でもアマチュア集団が能を舞うことは珍しく、文化を手厚く保護してきた伊達政宗の影響が地域住民にしっかりと根付いていることがうかがえます。
宮城県登米地方では、日常の儀式にも謡(うたい:ことばにふしをつけてうたうこと。能ではコーラスの役割)が用いられるなど、能の文化がくらしに深く関わっています。
すてきなことですね!
能舞台には松が描かれています。能や歌舞伎など日本の伝統芸能の舞台では、松を目にする機会が多いですね。どんな意味があるのかを改めて考えてみると、日本人のものの見方にふれることができます。この記事では、能舞台にある松の意[…]
最後まで読んでくれはって、ほんまにおおきに〜〜ありがとうございます!