合掌造りといえば、白川郷が有名ですが、越中富山の五箇山にも合掌造り集落があるのをご存じでしょうか。
白川郷と五箇山の合掌造り集落は、1995年にユネスコの世界遺産に登録されました。
この記事では、富山県にある五箇山菅沼合掌造り集落の魅力と、白川郷、悲しい歴史を秘めた世界遺産の秘境についてお伝えします。
白川郷の悲しい歴史
今ではすっかり観光地として有名になった白川郷は、五箇山から山をいくつも越えた岐阜県に位置しています。
富山県の五箇山よりもさらに奥地で、昔は想像を絶するほどの隔離された地、簡単に行き着くことのできない山深い立地でした。
幽閉(ゆうへい)された山奥の陸の孤島です。
意外なことに白川郷がいつごろから始まったのか詳しい資料は残されていません。
平家の落武者伝説や、罪人の流刑地説などがあるようです。
江戸時代の一向一揆で浄土真宗の農民たちが、福井や石川から流れ込んだ説もあります。
合掌造りの民家は江戸時代に建てられはじめました。
現存するものは、300年以上も建っている民家も。
冬は何メートルもの雪が積もる豪雪地帯。
合掌造りは雪に埋もれる厳しい気候で収入を得るための、この土地ならではの住まいのかたちでした。
三角屋根の屋根裏では、収入源である養蚕(ようさん)が行われていました。
屋根裏で蚕(かいこ)を飼い生糸(きいと)を生産して収入源にしていました。
また、あまり知られていないのですが、山深い地形で外部との接触が限られていた白川郷、五箇山では
鉄砲の火薬の原料となる煙硝(えんしょう)を製造していました。
合掌造りの民家の中に土間があり、火薬製造のための場所が確保されていました。
秘境と呼ばれるこの土地だからこそできた加賀藩の直営事業でした。
製造された煙硝(えんしょう)は、険しい山道をいくつも越えて金沢に運ばれました。
誰もが好んで住む土地でなかったことは、立地や気候をみても明らかです。
それだけに、悲しい歴史に想像力がふくらみます。
結婚は村の中で行われ、長男以外は新しく家族(家)を持つことを禁止されていました。
次男たちは、通い婚を続け、生まれた子どもは妻の家で育てられました。
養蚕(ようさん)に携わる女性も貴重な働き手であったため、嫁には出さず、家族は大家族化していきました。
村の中、家単位での共和国のような独立小国が成立していたのでしょう。
合掌造りの家に大家族で住み、平均して家族は30人ほどの大所帯でした。
昭和20年代に始まった庄川のダム建設で、村ごとダム湖の底に沈んでしまった悲しい歴史もあります。
また、冬の寒さに耐えきれず村ごと集団移転して廃村となった村もあり、
高度成長期に入ってからは、化学繊維に押されて養蚕(ようさん)が廃れゆき、仕事を求めて村を離れる若者が多くなりました。
世界遺産、五箇山合掌造りのおすすめポイント!
わたしは白川郷も五箇山もどちらも行きましたが、これから世界遺産の合掌造りを見たい人にどちらがおすすめかと聞かれたら、規模の小さい五箇山合掌造りをおすすめします。
その理由は次の5点です。
規模が小さいぶん、観光地化されておらず、今も地元の人々のくらしがひっそりと息づいている
世界遺産の五箇山に残る加賀藩の流刑小屋、貴重な歴史の資料!
標高1,000メートルを超える高い山々に囲まれた五箇山は、交通の不便な土地でした。
そのため、加賀藩(金沢)で罪をおかした役人を五箇山に島流しにして隔離しました。
世界遺産の五箇山合掌造り集落から車で10分ほどの場所に今も当時のままの姿で流刑小屋(牢屋)が残されています。
日本で流刑小屋が残るのは、五箇山のここだけ、必見ですよ!
五箇山は1000メートル級の高い山々に囲まれた山深いところで、昔から交通が不便な場所でした。そのため陸の孤島と呼ばれ、江戸時代には加賀藩の流刑地(るけいち)として罪を犯した人を送り込んでいた歴史があります。この記事では、世界[…]
五箇山には悲しい歴史を秘めた物語がありました。
五箇山の菅沼合掌造り集落は、今も人々の暮らしが息づいている
五箇山(ごかやま)と聞いて、「ああ知ってるよ」と答える人は少ないと思います。
実際、わたしも知人から教えてもらうまで、「ごかやま?どこ?」って感じでした。
五箇山は富山県南砺市の山あいにある合掌造りの里です。
観光地化されていなくて、こぢんまりしていて規模も小さくメディアでの露出もほとんどありません。
同じ合掌造りの白川郷は有名ですが、わたしは五箇山をおすすめします。
その理由は、白川郷ほど観光地化されていなくて、手つかずの自然や人々の暮らしが残っているからです。
静かな山あいに、昔から連綿(れんめん)と続いてきた営みが息づいています。
五箇山には菅沼集落と相倉集落の2つがありますが、今回わたしは、菅沼集落に行ってきました。
9軒の合掌造りが今も、人々の暮らしの場として現役で活躍しています。
世界遺産、五箇山の菅沼合掌造り集落の秘境感に感動!すごい、この景観!
なによりもすごいのは、その秘境感!
五箇山は標高がかなり高い場所にあり、五箇山の菅沼合掌造り集落は、窪地になったような谷底に位置しています。
谷底にわずか9軒ほどの合掌造りの家が並ぶ光景は、日本昔ばなしの世界が目の前に現れたかのよう
タイムスリップしたような錯覚をおぼえます。
集落内にはお食事どころが3軒、お土産やさんも数軒あります。
お店を営みながら生活をしていたり、合掌造りで暮らしている住民もいます。
合掌造りは古いもので江戸時代に建てられたものもあり、住民の生活の場であると同時に当時を知る貴重な財産となっています。
合掌造りの三角屋根は正三角形、左右対称に並んだ規則性のある窓、幾何学的な美しさに息をのみました。
それでいてどっしりとした力強いデザインは、昔の人の生きる知恵とたくましさを感じます。
世界遺産になるのも納得です!
モノが簡単に手に入らない奥地に暮らした人々の、当時の暮らしがしのばれます。
世界遺産、五箇山の菅沼合掌造り集落へのアクセスは?
そんな五箇山へのアクセスは、秘境といわれる奥地だから遠いのでは?
いえいえ、心配は要りませんよ。
愛知県、岐阜県、富山県を結ぶ東海北陸自動車道が通っているからです。
五箇山インターを降りて5分ほどの場所に菅沼合掌造り集落はあります。
秘境なのに、高速道路のおかげでアクセスが便利になりました。
インターを降りてすぐを左方面に5分も走ると、駐車場の看板が見えてきます。
駐車場は2カ所、お天気がよければ展望台の駐車場がおすすめ
左手に駐車場の案内板が見えてくれば、お天気がよければその駐車場に車を止めるのがおすすめです。
高台から菅沼合掌造り集落を一望できるロケーションが見ものです。
駐車場はもう1カ所、坂をくだって集落入り口にもあります。
お手洗いも両方の駐車場に併設されています。もちろん水洗洋式トイレですよ、ご安心ください。
世界遺産、五箇山の秘境ぶりを物語るエピソードその1
五箇山は富山県南砺市にありますが、文化圏としては加賀百万石を築いた加賀藩(石川県)の圏内に属しています。
加賀前田家は文化の新興を手厚く保護したこともあり、このあたりの人たちは読み書きソロバンなど学問にも熱心だったようです。
わたしが旅で出会った五箇山の人たちは、五箇山で育ったことに誇りを持って、自分の村を愛している様子が伝わってきました。
また、五箇山には奈良時代から伝わる日本でいちばん古いといわれている民謡「こきりこ節」が今でも歌い踊り継がれています。
ゆったりしたリズムで女性が優雅に踊り、そこに男性が「ささら」という楽器をシャンシャンと打ち鳴らし、アクセントを加えます。
民謡なのに土くささがなく、洗練されたリズムは一度聞いたら耳に残ります。
室町時代に京都から遠く離れた五箇山に伝わったといわれるこきりこ節、哀愁を帯びたメロディーの中に優雅さも感じさせる不思議な響きが耳に残ります。
こきりこ節の不思議は響きだけではありません。
女性はお顔を見せているのに対して、男性は笠を深くかぶって兜(かぶと)のようなものまでかぶる二重装備!
お顔がまったく見えません。
その意味を考えると、なかなか興味深いです。
春と秋のお祭りの場は、男女の公式お見合いの場であったと考えられ、お顔を見せていない男性はどのタイミングでかぶとを外したのか、想像力がふくらみます。
五箇山は高い山々に囲まれた場所ゆえ奈良時代から秘境だったはずなのに、こんなに洗練されたカッコイイ民謡が歌い継がれているとは!
こんなところにも世界遺産に認定された価値をみることができます。
世界遺産の秘境エピソードその2
近年こそ暖冬で積雪は少なくなったようですが、30年ほど前までは冬になると2〜3メートルも雪が積もる豪雪地帯でした。
高い山がすぐそばに迫っているため、冬はなだれが起こって道路が寸断されます。
30年ほど前までは、山越えで郵便や物資を運んでいました。
山越えといっても、800メートルほどある結構な高さの山です。
それでも道路が行き止まりだったら、山を越えて隣村まで行くしかなかったのですね。
五箇山の人たちのたくましさに拍手!
世界遺産の五箇山、ランチできるお店あります!
五箇山の菅沼合掌造り集落には、3カ所食事のできるお店があります。
与八
わたしは与八で天ぷらそばを食べました。
吾郎平
あらい
おすすめの季節は?紅葉もいいけど、新緑の季節もおすすめ!
紅葉の時期なら10月終わり〜11月はじめがベストシーズンです。
わたしが訪れたのは11月中旬、紅葉はまだ残っていましたが、終わりがけという感じでした。
新緑の季節もよいと思います。
若葉が青々としげる頃は、生命力にあふれたいぶきを全身で感じられると思います。
わたしもこの次は、新緑のころに再び訪れてみたいです。
↓すぐ近くには世にも珍しい江戸時代の流刑小屋(牢屋)が残されていますよ、必見です!↓
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最後まで読んでくれはって、ほんまにおおきに〜〜ありがとうございます!